「そろそろ新しい技を覚えたくない?」
「誰が」
「ハルちゃんが」
「『クッション』覚えたばっかりやで」
「や、そういうんじゃなくて」

インリンだの女豹だのクッションだの、実生活にほとんど(というか全然)役に立たないコマンドばかりを仕込まれているハルさんに、飼い犬らしいコマンドでも仕込みたくなったのだろうか。
なんとなく続きを聞いてみる。
「どんな技?」
「ハルが後ろへ下がる」
「後ろへ?」
「そう。こうズリズリとな!」
「へぇ、それはカワイイかも」
「そやろ?」
「でも……いつ使うんソレ」
「そ、それはわからんけど!
でも、ちゃんとコマンド名も考えてあります」
「そうなん?」
「聞いていただけますか」
「……まぁ」
すぅっと息を吸った夫は、少し甲高い声でこういった。
「『金麦と待ってるぅ〜』」
微妙な空気が、二人と一匹のあいだを流れていく。
「……」
「……」
「……えぇ〜」(←困惑)
なんのことだかわからない読者の方もいらっしゃるかと思うので、一応説明をしておくと、『金麦と待ってるぅ〜』は「金麦」といういわゆる第三のビールのCMで、昭和の奥様的な美しい女性が後じさりながら発する台詞である。
(CM内容は→コチラ)
このCMが流れた当時、なぜか我が家で『金麦と待ってるぅ〜』といいながら後じさるのがブームになった。しかし、今ではもうすっかり下火になってしまった(←飽きたともいう)。
ちなみに夫は、このCMを見るたびに「オレ、帰る!帰りますよ!!」と叫んでいた。(←思う壺)
ところで、後じさるというのは普通に暮らす犬はあまりしない動きである。
固定ポーズなら、無理にでも形を作ってしまえば、それなりに教え込むこともできるが、実現させにくい動きが入った場合、どうやって教え込むのか見当もつかない。
そのうえ、奇跡的にコマンドが完成したとしても
『金麦と待ってるぅ〜』
というコマンドを人様の前で発声する自信が、今のところ全然ないのであった(←こっちの方がむしろ大問題)。

それでもせっかくの提案なので、それなりに努力はした。

まずはハルさんが日々の生活において唯一後じさる瞬間を狙うことにする。
それは掃除の時間である。
「金麦と待ってるぅ〜」といいながら、掃除機をけしかけてみた(←乱暴)。
たしかにコレで「金麦と待ってるぅ〜」というコマンド時に後じさることには成功する。
が、どうしても掃除機がメインになり、ハルさんも何がなんだかわからなくなっているし、「金麦と待ってるぅ〜」といいながら掃除をするのは、なんとなく精神的に消耗する。
この作戦はいろいろな意味でうまくいく気がしないので早々にあきらめ、いつもどおりの方法で挑んでみることにした。
つまり、ムリヤリ大作戦である(←もっと乱暴)。
まずはハルさんを立たせて腰を支え、肩をゆっくり押してみる。
すると。

女豹になってしまった。
気を取り直してもう一度挑む。
すると。

やはり女豹化する。
どうも「女豹」時と、力のかかり方が同じらしく、何度やっても女豹になってしまうのである。
このままでは金麦と待っているのは女豹になってしまう。グダグダである。
すっかり行き詰ってしまって、ご近所のお友達に相談させていただく。もちろん「金麦」のことは伏せておく。
すると、後ろに下がらせるには、壁を利用するのがよいと教えてくださった。
壁に沿わせて前からプレッシャーをかけると自然に後ろへ下がっていくので、そのときコマンドとして教え込めばよいというのだ。
なるほど、と目から鱗が落ちる。
そんなわけで、これからしばらく練習に励もうと思うが、たいそうハードルが高いわりに、やっぱり実生活には役立たないので、できるかどうかはわからない。
というか、その前にコマンド名を考え直した方がいい気がするのだが……どうだろう。
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